【もののけ姫の正体】
ご存じの方はご存じのように、
当該「映画」のタイトルって本来『もののけ姫』ではなく
【アシタカ聶記(せっき)】なんですよね……('A`)
だから『サン』は主人公じゃないので
始まって30分以上出て来ませんし、
いざ出て来ても石琵琶にあっさり撃ち落とされて
エボシ御前に『完敗』してるわけです。
コレっておよそ【主人公のムーブ】じゃありません……('A`)
あくまで「脇役」、「オマケ」、
なんなら『マスコット』だからやらされる
【引き立て役】なのです……('A`)
でもソレじゃ【売れない】という理由から
宮崎 駿の目の上のたんこぶである
鈴木 敏夫プロデューサーに無理矢理
【改題】させられました。
【商業的】には正にソレが正しかったのでしょう、
『原題(アシタカ聶記)』のままじゃ
興行収入が1/3以下に落ち込んだと云われていますし
宮崎 駿という人間は『アニメに関しては天才』ですが
悲しいかな、【商売人としての才能】が皆無だったのです……('A`)
以上前置きとなりますが、では表題の
『もののけ姫』とは一体誰の事なのか?
サンじゃないならもうお解りでしょう?
そう、
↑なんですよ……('A`)
作中どう考えても主人公のアシタカ君は
モロとの絡みの方が多いですし、
彼の『行動』や『精神』に強い影響を与えているのは
明らかに彼女(モロ)の方です。
他に【キャラクター】としてもその『掘り下げ』が
エボシ御前並みに【深い】ですし、
コレは明らかにサンには無い強い『特色』です。
そもそも何故『モロ』は【危険な場所】と化した
もののけの森にずっと住んでいるのでしょうか?
恐ろしく頭の良い狼なのだから
そんな場所はとっとと捨てて
『別の場所』に住めば良いんです。
でもそうせずに身の危険を冒してまで
わざわざずっとそこに住み続けている。
その理由は彼女が住む『石の祠』にあって、
ソレは【嘗て人間が彼女の為に造ったモノ】だからです。
だから【人間全てを憎む事が出来ず】
また敵対しても『人間を信じている』のです。
だから人間が攻め込んできたら「応戦」はしますが
【自分から人間の集落に攻め込む事はしない】
彼女なら本来出来る筈なんですよ、
アレだけ頭が良くて統率力もある
『狼の長』ならば。
なんならエボシ御前も子供の内に殺してしまえば良かったんです。
(あ、一応「倭寇」に攫われたっていう裏設定は知ってます……('A`))
でもそれは決してしない、
何なら【捨てられた人間の赤ん坊(サン)を育ててしまっている】
もうそう考えると『もののけ姫の正体』とは
モロ以外考えられなくなるんですよね。
宮崎 駿は嫌々ながらも鈴木 敏夫プロデューサーの指示には従いますが
でもこうやってパッと見解らない所で
【意趣返し】をするのがジブリの恒例となっております。
おそらくあのジ〇イは
『わかった『もののけ姫』でやってやる。
だがその『もののけ姫』はおまえ達が期待する
サンじゃなくてモロの方だぞ?
解るヤツには解る。ざまあみやがれ』
と一人ほくそ笑んでいたのではないでしょうか……?('A`)
もう「冒頭」でアシタカ君と「兄様と慕ってくる娘」との間に
【肉体関係がある】という事を暗喩的に仕込む男だから
寧ろこちらの方が『自然』という感じがします。
そして最後にもう一つ、モロはラスト近辺で
最後の力を振り絞ってエボシ御前の片腕を噛み千切って
息絶えますが、あのモロがこの乾坤一擲の一撃を
【外す】というのがちょっと考えられないのですね。
確かエボシ御前は「反応」出来てなかったように記憶してますし
そもそもその『体積比(大きさ)』からエボシ御前は
『上半身丸ごと』噛み千切られてないとオカシイわけです。
となるとモロは『決着はつける』が
【エボシ御前を殺す気は無かった】のではないでしょうか?
優秀な指導者であるエボシ御前を喪ってしまったら
『たたら場の集落』は壊滅してしまいますし、
ジゴ坊背景の『権力』が周囲一帯を支配して
より悲惨な状況となるでしょう。
或いは永い年月を生きるモロだからこそ、
エボシ御前の事は「幼少」の頃から見て知っていたのかも知れません、
当然、「ハンセン病の村人」を保護して手厚く介護している事も
知っているでしょう。
故に【殺せなかった】コレは【サンとエボシが実の親子】
という【裏設定】にも繋がっていきます。
数多いるもののけの中で、
唯一【人間を愛していた狼(もののけ)】
もののけだけではなく『人間』の事まで考えて
最後まで誇り高く生きた女王。
そう考えると『もののけ姫』とは、
やはりモロの事だったのだと
ワタシはそう想えるのです――。